
本日は、アートランウェイのディレクターのToyomiDubaiさんにインタビューをします。では早速ですが、なぜ、アートランウェイをやろうと思ったんですか?
作家活動における「光と闇のコントラスト」に、自分が限界を感じたからです。


…すみません、ちょっと何を言ってるのか分からないのですが、もう少し具体的に。
そもそも、アートをやる人って――「自分はこの社会に存在してもいいのか?」という感覚を、心のどこかに持ってると思うんです。少なくとも、私はそうでした。社会にうまく適応できない、無理をして生きている。自分の居場所が見つけられない。
私はまさにそのタイプで、唯一「自己一致」できたのが制作に没頭している時間でした。
誰にも嘘をつかなくていい。ただ、自分の感覚と作品だけに集中できる。
それが私にとっての“至福”でした。


だったら、そのままで幸せそうじゃないですか?
いや、そう単純にはいかないんです。
やっぱり、自分の作品をもっとたくさんの人に見てほしい。活動を広げたい。
その想いに突き動かされて個展もする。グループ展にも参加しました。でも、そこで起きるのが“自己一致”からの“自己分離”です。自分が八つ裂きになりそうなくらい辛い。


ほぉ?(何を言ってるんだこの人は)
特にグループ展示では、他者との比較や評価にさらされて、すぐに自分が苦しくなってしまう。
「あの人にはたくさんお客さんがいる。私は人気がない。」
「あの人の技術は素晴らしい。私は未熟だ。」
自分の自分へのジャッジが止まらない。
シンプルにいますぐこの世界から消えたくなる。
作品が認知されないことでこの世界から自分が存在しないような錯覚を覚える。
それでも救われるのは、作品を見た誰かが「素敵ですね」って言ってくれた瞬間や、作品について語っているとき。
その時間は本当に気分がよくて、「この感覚をもっと拡大できないか?」と考え始めたんです。
また、自分の作品を語るスキルの未熟さを痛感し「作品を語る練習を実践で積んで行きたい」と願いました。


メンタルの振り幅やばいですね。光と闇を行ったり来たり。そこで生まれたのが、LOVERSARTS BAR?
そうです。作品を展示していなくても、ポートフォリオを持ち寄って自分の作品について語り合える場をつくったんです。「作品を語る時間」に価値があるんだって気づいていたから。LOVERSARTS BARには、全国からたくさんのアーティストたちが来てくれて、思ったんです。「この“語る場”を求めていたのは、私だけじゃなかったんだ」って。


実際にやってみて、どう感じましたか?
やってみてリアルにアート業界やアーティストの課題が見えてきました。
手元でポートフォリオをめくりながら熱く語るアーティストを見て、「もっと、もっと…何か違うアプローチが欲しい!」という欲が湧いてきたんです。
その中で自分自身も、展示活動は続けていました。ありがたいことに作品をお迎えしていただくこともできました。本当に嬉しかった。作品が自分の手元から離れて、誰かのそばで生きていることを思うだけで至福です。
でも、ふと確信したんです。「展示を繰り返し作品を売る。これだけでは“何か”が足りない」って。


結局、その“何か”って何だったんでしょう?
それは、一言で言えば「生きているという実感」でした。この瞬間のために生きている、と魂が震えるような体験。作品が売れたら嬉しいけど、すぐに「もっともっと売りたい!」が出てきて、終わりがない。一生、満たされない気がした。だから、いったん立ち止まって、人生を棚卸ししてみたんです。
そこで思い出したのが、私がもともと舞台役者だったこと。舞台に立っていたときの私は、確かに「生きている」を感じていた。
ああ、私が欲しかったのは――“舞台”だ、って。


アートと舞台を結びつけた?
そうです。アーティストやりながら舞台表現したいなって。そこで浮かび上がってきたのが、2024年のワールドアートドバイでの体験でした。アートウォークというパフォーマンスがあって、アーティストが作品を持って舞台の上を歩く。MCの方がすごく素敵なアーティストコールをしてくれるんです。
私はそれが大好きで、あれをやるためにドバイに行きたいと思うくらい。でも日本では、それができない。
だったら、アップデートした形で、自分がつくればいい。そう思った瞬間、ひらめいたんです。

そうだ、作品を掲げてレッドカーペットを歩こう✨✨✨✨


人生で点と点が線でつながる瞬間ですね。それで、初めての舞台を“大津”に選んだのは、どうしてだったんですか?
私、大津で生まれたんです。
今は東京と2拠点で暮らしているんですが、最初の挑戦の場として、どうしても大津に立ちたかった。
ただ――それは、とてもスリリングな決断でもありました。
なんせ大津です。県庁所在地といいつつ地味な街。
アートをやっている人が、正直あまり多くないように思えたんです。でもその大津駅前で芸術祭をやるという話を聞いて「もしかしたらできるかも」と直感が働きました。


かなりの勇気ある挑戦だったんですね。
大津でアートバーを開催したときに、アートランウェイの構想を話したら共鳴してくれる人たちが現れたんです。その瞬間、「もうこれは運命だ!やるしかない!」と覚悟を決めました。
それからは、必死でした。
大津の絵画教室、芸術大学、ギャラリー…あらゆる場所にメールを送って、時には直接訪問して、とにかく“仲間”を見つけたくて走り回った。
メールは返ってこないことも多かったし、あるギャラリーを訪れたときには、
「私たち後期高齢者だから、杖をついて歩いてるのよ。作品を掲げて歩くなんて無理」
…と、やんわり断られることもありました。
それでも、少しずつ、少しずつ、共鳴してくれる人が増えていったんです。
ポスターの掲示に協力してくれたり、運営を手伝ってくれたり。
その一人ひとりが、本当に宝物でした。


大津で実現できたのは、奇跡のようなプロセスだったんですね。
そうなんです。でもね、私の声が“誰か”に届き始めたのは、ThreadsというSNSの存在が大きかった。
アートランウェイの構想を、熱を込めて何度も何度も投稿していたら――
全国のアーティストたちが、興味を持ってくれるようになったんです。
結果的に、16名のアーティストが、全国各地から大津に集まってくれました。
実績も何もない私に、作品を託してくれた。本当に、夢みたいでした。


滋賀県にわざわざ、レッドカーペットを歩くためだけに来てくださったんですか?
東京、愛知、和歌山、三重、岐阜、京都、滋賀から。前泊してまできてくださると知って正直、震えました。こんな滋賀県にわざわざ来てくださるのだから、絶対に成功させなければ!と。あの地味な駅前にレッドカーペット引いたところで奇跡は起こらない。仕掛けを作らなければ!と。


あ、でも駅前の舞台セットも、印象的でしたよね。すごく素敵でした。
あの地味な大津の駅前にレッドカーペットを敷いただけではどうにもならない。「大津の駅前を、どうすれば“神殿”にできるか」どうすればこの場所を、アーティストにとって“尊い祝福のステージ”に変えられるか。
そのために、考えました。私が思うアーティストに相応しい宮殿の舞台セットを用意し、アーティストの作品はスタンドバナーにしました。巨大な宮殿の中でアーティストの作品が駅前の美術館になる。そんな世界を作りたかったんです。



なるほど、駅前に美術館が出現したような感覚でした!
最初はレッドカーペットを歩ければいい。そんな感じで考えてました。でも5月の開催の前に4月にドバイに渡航したんです。ワールドアートドバイでソロスタンドで出展するために。そこで考え方が大きく変わりました。ドバイで一緒に遊んでいた女の子に「Toyomiは英語が話せるからいいね。アーティストとしてそれはあなたの強みだよ」って言われたんです。私の周りは普通に英語と日本語、それ以外の言語を話す人が当たり前だったからちょっと驚きました。そうか、英語が強みになるのかと。
「アートランウェイは世界に発信していくコンテンツにしよう!」と決めました。そこから公式Instagramを日英にしてMCの台本も全て書き換えました。日英にして英語のMCも探してきました。明確に意図したのです。


なるほど、アートは世界の共通言語とも言えますね。
いつかではなく、今、ここからアートランウェイを世界へ発信していく

そうやって意図したら、アートランウェイのステートメントが「世界中のアーティストをレッドカーペットで繋ぐ」という言葉になりました。これはとてもやりがいのあることで、ワールドアートドバイで体験した「アートで世界とつながる至福」を永遠に感じていられることにも繋がります。

世界に向けて発信する!つまり全てのメディアで日英でやっていく。WEBサイトも日本語サイトと英語サイトの2つを作成しています。Xでは主に英語で発信。IGもハイブリッドでやっています。


運用が大変そうです
正直大変です。でも英語で発信しなければ世界のどこかにいる誰かには届かない。


Xのフォロワー、今、7人ですよね。まさにここから始まるんですね。
今、タネをたくさん撒いているところ。まだ始まって1ヶ月ちょっとです。アートランウェイは、記録性と拡散性にも拘ることにしました。公式の写真集を作る。ただ作るだけでなくて、オンラインショップで販売する。ここまでは普通すぎる。その先を行きたい。であれば、NFT化して海外のアートマーケットに出す。そして、AmazonのKindleストアに出版してより手にとってもらいやすくする。公式写真集はもっともっとアート文脈の場所に出して行きたい。8月にギャラリーでのZineフェスがあるのでそこても展示します。


レッドカーペットの記録が永遠になるんですね。
アーティストがレッドカーペットを歩くのは短い時間ですが、その時間を永遠の体験価値に変えていくんです。それが「世界中のアーティストをレッドカーペットで繋ぐ」を具現化する方法と信じています。


写真集の売れ行きはいかがですか?
まだ予約販売の段階ですが、すでにたくさんの注文をいただいています。7月のアートランウェイ東京の物販コーナーでも設置したいと思っています。
https://artrunway.official.ec/items/106480680


今後の展望について教えてください
海外のアーティストを日本のアートランウェイに招致したい!そしてアートランウェイで海外進出したい。そのために何ができるかということを毎日、考えています。このインタビュー記事を通じて誰かの心に響く何かを届けられたらうれしい。
発信していくことで誰かに届くと信じています。本気でやっていますから!


本日の日付は2025年6月18日ですね。またぜひお話ししましょう。ありがとうございました。